香春町とは?

 香春と書いて「かわら」と読む。昔は「鹿春」とも書いた。「豊前国風土記」逸文に「此の河の瀬清浄(きよ)し。因りて清河原の村と號(なず)けき。今、鹿春の郷と謂うは訛(なま)れるなり。」とある事から、「此の河」が清瀬川で、その「河原」が「鹿春」になまったものだということが考えられる。豊前風土記が、710年前後に書かれたものだとすると、この説が、最も古いものだということになる。しかしながら、香春の歴史は、もっと古いもので、豊前風土記が書かれた頃その由来はすでに失われていた可能性がある。香春の町は、大陸から渡ってきた渡来人によって作られたと考えられる。
 田村圓澄氏は、「万葉集」に「豊国乃加波流」(巻九・1767)とあることから朝鮮語の「カパル」(険しい)が語源となっているのではないかという説である。香春岳の東側は、急峻な崖となっていて、香春の象徴となる香春岳の山容が語源というわけである。
香春町の郷土史家である江本淡也氏は、中野幡能氏のいうカグポル(新羅語)金の村が転化したものだという説を支持する人が多いとしながら香春は高良(こうら)が転化したものではないかという。高良神社の祭神高(こう)良(ら)玉(たま)垂(たれの)命(みこと)は、物部の祖神であり、その関連があるのではないかというものである。(郷土史誌かわら第3集所収)
 谷川健一氏は、吉田東伍氏が「地名辞典」の中で、「高良は香春の音便なり」と述べていることから、カワラ→コウラという変遷をたどり、どちらも首領を意味すると考えられ、新羅からの渡来人団体の指導者が住んでいたため命名された地名と述べている。(四天王寺の鷹)   

 本田 逸郎  

豊前国風土記逸文と万葉集にある「香春」の由来について

一 はじめに 
みなさんこんにちは。私は香春の案内人です。
今日は,わたしたちは「香春町」を(かわらまち)と読みますね。
香は(か)と読みますね。春は(はる)と読みますね。(わら)とは読みませんね。どうしてこのような読みになったのでしょう。
香春町の名前の由来を話しましょう 
 香春の地名が文献に出てくるのは「風土記(ふどき)」と「万葉集」です。「風土記」は、奈良時代初期七一三年に元明天皇の詔(みことのり)により各国庁が編纂(へんさん)した官撰(かんせん)の地誌です。主な内容は、次のとおりです。
 1 郡郷の名
 2 産物
 3 土地の肥沃(ひよく)の状態
 4 地名の起源
 5 伝えられている旧聞異事(きゅうぶんいじ)
 「万葉集」は、奈良時代に編纂された我が国最古の歌集です。
 では、「風土記」と「万葉集」に出てくる香春の地名について詳しく説明しましょう。

二 「豊前国風土記逸文」
 左記の「豊前国風土記逸文」では、清河原(きよかはら)から、鹿春(かはる)と地名が変遷したことが分かります。つまり清河原(きよかはら)が訛(なま)って鹿春(かはる)となったのです。
 
     鹿春郷
豊前(とよくにのみちのくち)の國の風土記に曰はく、田河 (たがは)の郡(こほり)。鹿春(かはる)の郷(さと)郡の東北 (うしとら)のかたにあり。此の郷の中(うち)に河あり。
年漁(あゆ)あり。其の源(みなもと)は、郡の東北のかた、
杉坂山(すぎさかやま)より出(い)でて、直(すぐ)に正西
(まにし)を指して流れ下りて、眞漏川(まろがは)に湊 (つど)ひ會(あ)へり。此の河の瀬(せ)清浄(きよ)し。因り て 清河原(きよかはら)の村と號(なづ)けき。今、鹿春(かはる)の郷と謂(い)ふは訛(よこなま)れるなり。昔者(むかし)、新羅の國の神、自(みづから)ら渡り到来(きた)りて、此の河原住みき。便即(すなは)ち名づけて鹿春(かはる)の神と曰ふ。又、郷の 北に峰あり。頂(いただき)に沼あり。
周(めぐ)り卅六歩(あし)ばかりなり。黄楊樹(つげのき)
生(お)ひ、兼(また)、龍骨(たつのほね)あり。第二(つ
ぎ)の峰には銅(あかがね)、並びに黄楊・龍骨等(ども)あ
り。第三(つぎ)の峰には龍骨(たつのほね)あり。

三 抜氣大首(ぬきけのおほびと)の歌(「万葉集」)
 「万葉集」に我が町の歌が七首あります。その中の一首に、抜氣大首の歌があり、加波流、革流波(かはる)という町名が万葉仮名で表記されています。

抜氣大首筑紫に任(ま)けらえし時に、豊前國の娘子紐兒(をとめひものこ)を娶(ま)きて作る歌三首
その中の一首
 
1767 豊國の香春(かはる)は吾宅紐兒(わぎへひものこ)にいつがり 居(を)れば香春(かはる)は吾家(わぎへ)
(1767豊國乃 加波流波吾宅 紐兒  伊都我里座者 革流波吾家)

 なお、道の駅香春の別名「わぎえの里」は、この歌の吾家(わぎへ) からとったものです。

四 清河原(きよかはら)鹿春(かはる)加波流、革流波(かはる) がなぜ香春になったのか
 風土記が作られる頃、元明天皇が「好字二字令」を出されました。これは、地名に好字(佳字ともいう)、すなわち良い字やおめでたい字を使いなさいということです。。
 そこで、私たちの先祖は「香春」(かはる、訛って、かわら)という漢字を当てています。その理由は、

・ 香る春。名前の清らかさや春の香(かおり)の良さを表す。
・ 香も春もどちらも画数が九画。九という数字は陰陽の陽では、最高の数字であり、それが重なっているので最も良い字になります。
  例えば九月九日は重陽(ちょうよう)の節句(菊の節句)でお祝いをしますね。
 ・ 「香春」の字は左右対称の美しさがあります。

五 おわりに
 「香春(かわら)」は、我々の先祖がこの町に栄えあれと願って付けた町名です。私たちもこの歴史と伝統ある町名に自信と誇りをもって、町を発展させていきたいと願っています。

嶋井恒博(香春町在住)